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苦手という勘違い-思い込みは人を変える

皆さんは苦手なものや、苦手なことってありますか?

 

僕は色々ありますよ。

 

学問で言えば数学苦手だし、

 

絵を描いたりするのも苦手だし、

 

球技が苦手だし、

 

etc.

 

まあまあたくさんあります。

 

よく、人は平等かどうかっていう議論がありますが、人は生まれながらにして平等じゃないというのが僕の意見です。

 

しかし、その中でも、苦手なことってなんで苦手なんでしょうね?

 

ようするに身体能力に関わる部分ですよ。

 

例えば、お金があるかないか。

これは別に自身の身体能力なんかには関係ない部分です。

 

ただ、僕やあなたの先代達がそういう流れを作ってきただけです。

あるいは逆か。

 

また、子供時代に幸せな家庭だったかどうか。

 

これも身体能力には関係ないですね。

 

僕やあなたの親が、子供を大切に育ててくれたと言うことです。

あるいは逆もあるでしょう。

 

では、スポーツが苦手なのはどうしてでしょうか?

 

そもそも、苦手という概念には、相手が必要です。

 

リフティング3回しかできないと人って、

サッカーが上手ですか?

 

みなさんは上手とは断言できないと思います。

 

だって上手な人なら何回だって続けられますからね。

 

しかし、世の中の全ての人が、リフティングは1回できるだけですごい。2回できるには才能がいる。という感覚だとどうでしょう。

 

3回できるあなたは神か何かだと思われるでしょうね。

 

ここで、我々は気づきます。

 

そうか、上手い下手の概念には、その言葉の前に一言抜けているんだと。

 

(世界の誰かと比較して)上手い

 

(世界の誰かと比較して)下手

 

そして、その比較で下手な人が、

 

ああ、自分はこれが苦手なんだなと思い込むわけです。

当然ですよね。周りの人が当たり前にできることが自分にできないんですから。

 

ところで、何故できないのか、

 

その要因については考えましたか?

 

今この段階で、苦手という概念は誰かとの比較で生まれてくることが分かりました。

 

そうすると次に分かること、それは、

その誰かと自分の違いは何だ?

ということです。

 

自分と相手で、リフティングの上手さの比較はしました。

しかし、比較はある程度条件が同じ状態でのみ成り立つ手法です。

 

潰れてぐちゃぐちゃになった一流パティシエのケーキと、スーパーの万全の状態のケーキを比較しても意味がないですよね。

 

互いに100%に近い状態でなければ比較する意味がないということです。

 

そして、ここで戻って考えてみましょう。

 

あなたが上手いとイメージする誰かと、

あなた自身の現状は、

近い状態にありますか?

 

練習量は?

練習期間は?

これまでの生い立ちは?

他のことで体が鍛えられていないか?

小さい頃特別な教育を受けてないか?

コーチは?

周りの環境は?

上手くなりたいという意思の強さは?

 

全然違いますよね。

違うはずです。

だってあなたはあなたでしかない。

僕も僕でしかないわけです。

 

有名な漫画家と自分を比べてみたところで、

それは意味の比較です。

いや、比較じゃない、ただ並べてるだけです。

 

そんな無意味な比較をもって、苦手だからできないなどと決めつけてしまうのは、

僕は思い込みでしかないと思うんですが

どうでしょうか?

 

心の底から成りたいと思える将来があるのなら、

 

心の底から上達したいと思える何かがあるのなら、

 

そんな比較などやめて、ただ一心不乱に努力するしかないんじゃないでしょうか?

 

確かにモチベーションは下がりますよ。

同じ年、同じような体格で、幼馴染で小さい頃から知ってる。

そして、同じ時期にサッカーを始めて、

同じように練習してきた。

一定の年齢になって、自分は補欠、幼馴染は日本代表。

 

こんな現実を見せられたら辞めてしまいたくもなるでしょう。

 

しかし、そこで才能がないとか自分は得意じゃないとか嘆くのは大きな間違いです。

 

嘆くべきは、そこに至るまでの間に、自分が競ってきた相手の変化や自分との違いに気付けなかった、あなた自身の愚かさです。

そうは思いませんか?

 

一生懸命に努力したと思います。

あなた自身の中では。

 

でも、それってどうやって相手と比較するんですか?

できないですよ。

 

だってあなたは24時間その人といて、同じことをしてるんですか?

 

違いますよね。

 

もしもそれを比較する手段があるとするなら、もう結果で見るしかない。

 

そしてその結果も、才能の差ではない。

正確に言うと、才能の差だけではない。

 

大半は、時間の使い方か、努力の量か、意思の強さか、そんなところだと思いますよ。

 

ピアノの才能がある人がいるとします。

 

その人がピアノに触れた瞬間に上手くなれますか?

なれませんよ。

 

繰り返し繰り返し練習する。

 

その中で才能があれば、人より一歩進めるだけです。すると、それが楽しくなって上達していく。

才能はスパイスに過ぎないと僕は思いますよ。

 

ならば、その1歩の差をどうやって埋めるか。

時間をかけるか、質をあげるか、方法は様々です。

 

だけど、大切なのはその考えに至ること。

 

初期段階で、苦手だと自分で決めてしまった段階でその道は閉ざされるんです。

 

よく、苦手だと決めつけたら駄目だと言われますが、あれではよく分からない。

苦手なものは苦手なんだと心の中で反論して終わりです。

 

しかし、もうお分かりのように、そもそも苦手という概念が存在しない。

 

例えば、背が低いから高いところにあるものを取るのが苦手。

 

この使い方は正しいと思います。

 

だってそれは努力で解決できないから。

 

上手にかけないから絵を描くのが苦手。

 

これってどうでしょう?

つまり、人間は生まれた瞬間はみんな絵を描くのが苦手ってことですよね。

 

もうここまで言えば分かるはずですよね。

 

今あなたが抱えている、苦手、という概念は思い込みでしかない。

 

そしてそれは、あなたの人生をがんじがらめにしています。

 

早く自分を解放してあげてください。

 

明日、明後日、来年、10年後、

 

いつか苦手と思い込んでいたその夢を

 

叶えられる日がくると思います。