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Koneblo-明日を見出す-

生き方を模索する著者konetaの人生奮闘記です。色々頑張って色々考えているのでつらつらと綴っていこうかと思います。

何かに対峙するとき心構えでだいぶ変わる説

仕事 暮らし 生活

人前に出ること。

 

仕事に行くこと。

 

怒られると分かっていてそこに飛び込むこと。

 

辛い作業に挑む前。

 

勉強で机に向かうとき。

 

受けたく無い授業を受けるとき。

 

試合の前。

 

本番直前の待ち時間。

 

人生には辛いことや、緊張のように心にストレスになることってたくさんありますよね。

 

 

辛い、あるいは心が重くなると表現しますか。

 

胸が苦しい、息が苦しい、ため息が出て、吐き気すらしてくる。

 

そういう方もいるでしょう。

 

土曜の夜は楽しい気持ちなのに、日曜の夜は眠れない。

 

本番前、手や足が震えて止まらない。

 

なぜでしょう?

 

やってることは同じなのに。

 

全ての原因は、怖さです。

 

恐怖ではないかと私は常日頃から思ってます。

 

怖いのか?

 

と自分に問いかけるようにしています。

 

それは、失敗したときに恥をかくことか、

 

それとも、誰かに叱られるのか、

 

誰かに迷惑をかけるのか、、、、

 

ん?

 

気づきましたか?

 

あなたのその恐怖の中心にあるものは、

 

いつも『誰か』なのだと。

 

その誰かの罵声や怒声や、失笑、失望に怯えて、あなたは自分自身を出し切れずにいるだけなのだと。

 

僕はいつも思う。

 

俺は誰だ?これは誰の人生だ?誰の意思でここにいるんだ?なぜここにいるんだ?

俺の恐怖の原因のその誰かは、一生俺の人生を不本意なものにし続けるのか?それでいいのか?これは俺の人生じゃないのか?悲劇のヒロインのまま、泣き寝入りの人生でいいのか?

俺が戦わなくて、誰が戦うんだ?

この人生で唯一、運命を決めて歩く権利を持っているのは誰だ?

 

そう、自分なんですよ。

 

だから私はこう思います。

 

嫌だ、きつい、苦しい、辛い、

 

それは『初めから分かっている』

 

そんなことで、自分のこの意思が、

 

人生をより良くしたいという気持ちが、

 

折れてしまうのか?

 

折れるわけがない。

 

折らせはしない。

 

よく、高齢の方が、『何くそ』という気持ちを持てとおっしゃいます。

 

これは、まさにその通りだと私は思ってます。

 

人にそれを強要してはならないと思います。

 

しかし、自分は自分自身にその気持ちを強く植え付けていないと、いつか折れてしまうと思います。

 

風が強い日、傘は前に傾けないと耐えられません。

 

僕は心も同じじゃないかなと。

 

後ろに仰け反った状態では土俵から押し出されてしまいます。

 

いつも、よし見てろ!

 

やってやる!

 

来るならこい!

 

ここぞというとき、辛いことに対峙するとき、

 

そういう気持ちを持つようにしています。

 

そして、例え恥をかこうが、笑われようが、

 

逃げるような気持ちで中途半端なことをした後よりは、清々しい気持ちになれます。

 

一度この感覚を味わうと、シーンとした中でも手を上げられずにいられなくなります。

 

発表者を決めるときに自ら出ていきたくなります。

 

誰もやらないことを、自分が一番はじめにやりたいと思うようになります。

 

今までやらなかったこと、やりたくなかったことに対して、驚くほど積極的な自分がそこにいます。

 

中学まで人見知りで恥ずかしがり屋で、人と話すことさえも躊躇っていた私が、高校で少しずつ自分を見出し、大学には1000人、2000にんの人の前に立ち、スピーチや司会なんかをするような経験をしました。

 

直前までは怖いです。しかし、立ち向かっていきたいという『欲望』とも言えるような気持ちがあるので、その恐怖ですらも、次の一歩、次の一言へのエネルギーに変わっていきます。

 

もし、今何かに躊躇していたり、逃げ腰になって中途半端になっていることがあるのなら、

是非、『立ち向かう』心構えで、

攻めの姿勢で臨んでみてください。

 

例えすぐには結果が変わらずとも、あなたの心の中は変わります。

 

明日は、明後日は、来月は、来年は、

今とは大きく異なる人生を歩んでいるんじゃないでしょうか。

 

今日は真面目な気持ちなので、10%増しで真面目な記事でした。